神戸新聞社様から徳林寺の涅槃図について取材を受けました。
3年ほど前から始めた涅槃図の絵解きですが、毎年好評で多くの方が参拝されています。
徳林寺では「花まつり」「大根炊き」などを通して多くの方が訪れてくださいますが、こうして皆様とじっくりお話できるのは「涅槃図公開」の時くらいです。
涅槃図は今から約2600年前のお釈迦様入滅の瞬間が描かれていますが、ただお釈迦様が亡くなって悲しい・・だけではなく、多くの事が描かれています。
初めて来られた方には、絵の構図の説明や、入滅までのストーリーなどをお話いたしますが、リピーターの方も多いので、そんな時は、いつもと違った角度でお話させていただいています。
今回の神戸新聞社様の取材時には、釈尊の入滅の瞬間にいた人達についてお話させていただきました。
お釈迦様の入滅の際、諸菩薩や多くの弟子が集まり、お釈迦様の死を悲しみましたが、注目すべきは2600年前のカースト制度がしっかりと組み込まれた世界の中で、老若男女、障碍者、貧富関係のない人々、異教徒、外国人までもがお釈迦様の死を悔やんでいたということです。お釈迦様は40年の長きにわたりその教えを広めていきました。お釈迦様の寛容な態度は、異教徒、外国人、貧富の差など関係なく受けいられ、多くの人が集い、教団は発展していきました。
長い歴史を見てみると、宗教だけでなく、文化、芸能、国や都市、村、会社、大学、家族にしてもそうですが、大きく発展する時は、必ず寛容な社会である時です。
アメリカ合衆国も日本もそうでしたが、外国からの知識や人材を吸収して大きな発展をしていきました。現在の欧米や日本は、どこか閉鎖的な社会となり、あまりにも狭い知見の中でお互いの足を引っ張りあう世の中となってしまいました。
これでは、どうやっても国は発展しません。
逆にシンガポールなど多く人材や技術などを受け容れている国は飛躍的に発展していっています。
この現象を国でなく、自分に置き換えてみても同じです。
あれも嫌、知らない、見ない。自分の好きな事だけしていたい。自分だけが大切。自分だけの正義。自分が気に入らないものは悪。
全く今の世界情勢と個人の在り方が同じだと気付く人は多いと思います。
もし、自分の成長や幸せを望むのなら、少しだけ寛容な心をもって世の中を見てみる事です。きっと今までと違う景色が見えるんではないでしょうか?
お釈迦様の涅槃図はそんな寛容な世界も広がっています。